”裸になったサラリーマン”が見たい
「裸になったサラリーマン見たいなぁ」
お風呂に入っていて、また思い出した
ふとした時に昔から逡巡するこの感覚。
「裸になったサラリーマンを生で見たい」
私がこう思うようになったのは、確か11歳の時だった。
といってももちろん、裸のおっさんを直に見てみたいわけではない。
劇団ふるさときゃらばんは、日本人の暮らしをテーマにする、ちょっと変わったミュージカル劇団。
当時は結構話題にもなったようだ。
NHKでも放送されるくらいだから、相当なものだったろう。
1994年に公開された”裸になったサラリーマン”は、
バブルが弾けて不景気真っただ中のサラリーマンにスポットが当たる。
リストラ、転勤、家族・・・当時の世相が反映された内容で、一般市民に支持を得た。
NHKで放送されたこの作品を親が録画していたのを見たのがきっかけだった。
その劇の迫力、ミュージカルの音、次々に展開していく内容・・・
あっという間に魅了されて、毎日何回も繰り返し見るほどだった。
そんなに好きならと、近くで公演があるから見せてあげたいと親が言ってくれた。
でも、当時は小学生。入場制限の中学生以上に届かなかったのだ。
それ以来、大きくなったら劇場で裸になったサラリーマンを見るというのが夢だった。
しかし、それは叶わなかった。
劇団は経営が芳しくなく、企業スポンサーや公的支援を受けて公演をすることが多かった。
バブルが弾けた後、しばらくしてやってきたのが金融ショック。
不景気があらゆる分野に影響を及ぼし、無駄遣いがないかあらさがしをすることに躍起になっていた。
この劇団に対しても、税金を使って演劇をやるなどけしからんという新聞記事がでてショックを受けたのを覚えている。
不正利用ではないし、そんなに悪くたたかれるいわれはないのに・・・
悔しくて切なくて、すごくもやっとしたのを今でも覚えている。
芸術は不況に弱いというのを聞いたことがあるが、まさにその通りのことが起きた。
経営が苦しい企業はスポンサーから撤退、バッシングを受けた省庁も資金援助できず・・・
結局、2010年にこの劇団は破産してしまった。
劇の観覧は叶わなくなったが、いまでも内容を覚えている。
といっても、もう二十年以上見ていないからうろ覚えだが。
エンディングの曲の歌詞はこんな感じだった。
世の中を豊かにするために
人は会社を作った
家族を幸せにするために
人は会社で働く
会社が新しいもの 創り出せば
新しい暮らしが 生まれる
会社が新しいもの 創り出せば
新しい世界が 生まれる
会社は 世の中のためにある
会社は 幸せのためにある
会社は 家族のためにある
会社は 人間のためにある
うろ覚えながらも、久々に、声に出して風呂で歌ってみた。
20年以上前のミュージカルの歌詞に、ふと思うことがある。
果たして今の会社は、世の中を豊かにしているだろうか。
働いている人が幸せにつながるような環境だろうか。
働いている人が、会社が生み出す価値に喜びを感じているだろうか。
全部が全部理想の通りとは言わない。
しかし、自分が働くならば、一つ二つは当てはまる会社で働きたい。
そして投資をするならば、この歌詞に見合う会社に投資をしていきたい。
投資を始めたころは、株は安いときに買って高いときに売るゲームだと思っていた。
最近は、その考えが変わってきている。
今では、バイアンドホールドこそ投資の醍醐味と思うようになってきた。
会社には理念があり、そこで働く人がいて、産み出す価値がある。
長期に渡って成長し続ける、言い換えれば、産み出す価値が高まる企業にお金を預ける。
それができる会社を選び抜くのが投資の楽しみだと感じるようになった。
そして、考えるのが面倒ならば、人間そのものの将来性に期待してインデックス投資をすればいい。
自分のお金が増えるかどうかだけではない。
自分のお金がどう世の中の役に立って、そこで得た利益の一部が自分に還元されるのか。
そういう視点でいると、淡々と続けるインデックス投資ですら楽しくなる。
とまぁ、歌詞を思い返しながら、こんなことをつらつらと考えていた。
いわゆる、Die With Zeroでいう経験の複利効果というやつだろう。
あらゆる経験はその瞬間だけのものではない。
思い出という形で、その後の人生に彩を与えてくれる。
音楽とか演劇といった芸術は特にそのインパクトが強い。
小学生の時に見たときとはまた違った目線で劇を見たら、きっとまた新しい世界が見えただろう。
それが叶わないのはとても残念だ。
あれこれ考えていたらのぼせそうになった。
風呂上りに鏡に映った姿を見てこう思う。
「俺が見たいのはこの”裸になったサラリーマン”ではない」と。
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